時計の磁気帯び──1日30秒進む原因と確認法、磁気抜き費用、15,000ガウスの解
時計が1日に30秒も進むなら、故障ではなくまず磁気帯びを疑うべきだ。原因はスマホやバッグの磁石。方位磁石を使った確認法、磁気抜きの費用(無料〜3,000円程度)、METAS認定15,000ガウス耐磁時計という根本解まで、コレクター歴30年の評論家が実体験から解説する。
川村 篤志 時計評論家 / コレクター歴30年
公開: 2026年7月24日 更新: 2026年7月24日
機械式時計が急に進み始めたら、疑うべきは故障ではない。まず磁気だ。
先日、大学時代の友人から連絡が来た。「時計が1日で40秒も進む。壊れたらしいから、買い替えの相談に乗ってくれ」。彼が「壊れた」と診断した時計は、私の見立てでは十中八九、無傷だった。実際、時計店の磁気抜き器に3分かけただけで、日差は+5秒に戻った。費用はゼロ。彼は拍子抜けした顔で、買い替え資金を鞄の新調に回した。
「進む」は機械式時計の故障サインではなく、磁気帯びのサイン──この知識だけで、無駄なオーバーホールや買い替えを避けられる人が相当数いる。30年時計を集めてきた私自身、磁気という見えない敵には何度もやられてきた。
このページでは、磁気帯びの症状となぜ「進む」のか、身の回りの原因、方位磁石ひとつでできる確認法、磁気抜きの費用と流れ、そして15,000ガウス耐磁という根本解まで、順番に書く。

磁気帯びの症状──機械式時計は「進む」
磁気帯びの症状で圧倒的に多いのが「進み」だ。1日に+30秒、ひどいと+2〜3分。長年±10秒以内で動いていた時計が、ある日を境に急に進み出す。
理由は、機械式時計の心臓部にあるヒゲゼンマイにある。髪の毛より細いこの渦巻きバネが、テンプを一定のリズムで往復させることで時計は時を刻む。金属製のヒゲゼンマイが磁気を帯びると、渦巻きの一部が互いに引き寄せられ、密着して、バネとして働く有効な長さが短くなる。バネは短いほど速く振動する。振動が速くなれば、時計は進む。
症状を整理しておく。
- 急に進む: 最典型。ヒゲゼンマイの部分的な密着
- 不規則に進んだり遅れたりする: 弱い磁化。姿勢や巻き上げ量で症状が揺れる
- 止まる: 強い磁化でヒゲゼンマイが広範囲に密着した場合
大事なのは、「徐々に」ではなく「急に」精度が変わったら磁気を疑うこと。油切れや部品摩耗による精度悪化は月〜年単位でじわじわ進む。昨日まで正常だった時計が今日おかしいなら、原因は昨日の環境にある。
クォーツ時計は磁気帯びしないのか
「クォーツなら安心ですよね」ともよく訊かれるが、半分だけ正しい。クォーツは針を動かすステップモーターに磁石を使っているため、強い磁界の中にいる間は針が乱れたり止まったりする。ただし磁界から離せば元に戻ることが多く、機械式のように「磁気が体に残って進み続ける」症状にはなりにくい。時刻を合わせ直せば済むケースが大半だ。
つまり、磁気帯びという「後遺症」に悩まされるのは主に機械式である。デジタル表示のクォーツに至っては、モーター自体がないためほぼ無敵だ。機械式を選ぶということは、磁気との付き合い方も一緒に引き受けるということ──これは機械式時計 入門で書いた「不便さごと愛せるか」の話の続きでもある。
原因はどこにでもある──スマホ、PC、バッグの留め具
「強い磁石なんて触っていない」と誰もが言う。だが現代の生活は、時計の敵だらけだ。私が実際に「犯人」として特定してきたものを挙げる。
- スマートフォン: スピーカー部分と、マグネット式ワイヤレス充電の吸着リング。時計と同じポケット、枕元で時計の隣、が定番の事故現場
- タブレットのカバー: 開閉検知に磁石が仕込まれている。カバーの上に時計を置くのは、磁石の上に置くのと同じ
- ノートPC: パームレスト付近とスピーカー。着けたままのタイピングで手首が常時近づく
- バッグの留め具: マグネットホック。時計を外してバッグに放り込む人は、留め具の真横に時計が転がる
- ワイヤレスイヤホンのケース: 蓋の吸着に磁石。ポケットの中で時計と同居しがち
- 磁気ネックレス・磁気治療器: 効能の源がそのまま時計には毒になる
共通するのは、どれも「磁石を使っている自覚がない」製品だということ。私が相談を受けて犯人を特定した実例だけでも、後輩のタブレットカバー、友人のバッグのマグネットホック、取材相手のワイヤレス充電器と、見事に「自覚なし」ばかりだった。
救いは、磁気の力が距離とともに急激に弱まることだ。磁界の強さは、離れれば離れるほど加速度的に減衰する。くっつけて置けば強烈でも、少し離せば実害はほぼなくなる。日本時計協会の耐磁規格が「磁気製品から5cm」を基準にしているのは偶然ではない。経験則として、時計とこれらの製品は10cm離す。これだけで磁気帯びの大半は防げる。
自分でできる確認方法──方位磁石ひとつでいい
時計店に行く前に、自宅で確認する方法がある。用意するのは方位磁石(コンパス)だけ。100円ショップのもので十分だ。
- 方位磁石を机に置き、針が落ち着くのを待つ
- 時計をゆっくり方位磁石に近づける(2〜3cmまで)
- 針がはっきり振れたら、磁気を帯びている
時計自体も金属なので針は多少反応するが、健全な時計ならわずかに揺れる程度。磁気を帯びた時計は、針がくるりと引かれるように動くので、見れば分かる。時計の向きを変えながら、文字盤側・裏蓋側の両方で試すといい。
スマホのコンパスアプリでも代用はできるが、スマホ自体が磁気を発する側なので、判定がにごる。実物の方位磁石の方が確実だ。私は工具箱に登山用のコンパスを1個入れてあり、精度に違和感が出た時計は、まずこれで「問診」する。30年で身につけた習慣のうち、最も安上がりで、最も出番の多い道具だと思う。
逆に、進んでいるのに方位磁石がほとんど振れないなら、原因は磁気以外──油の劣化、衝撃によるヒゲゼンマイの絡み、テンプの不調など──にある。その場合は磁気抜きでは直らないので、オーバーホールを含めた点検の相談に進むことになる。方位磁石は「磁気か、それ以外か」を1分で仕分けてくれる分岐器なのだ。
もうひとつの傍証は日差の記録だ。時報やスマホの時刻と比べて、24時間でどれだけずれたかを2〜3日メモする。毎日+30秒前後で安定して進むなら、磁気帯びの典型パターンと考えていい。
もう一歩踏み込みたい人には、スマホのタイムグラファー系アプリという手もある。マイクで時計の心音(テンプの振動音)を拾い、その場で日差を推定してくれるものだ。静かな部屋で時計をマイクに近づけて測る。磁気帯びした時計は、ここで1日+数百秒という極端な数字が出ることがあり、そこまで振れていればほぼ確定と言っていい。無料アプリの精度は本職のタイムグラファーに及ばないが、「異常かどうか」の切り分けには十分使える。
磁気抜きの費用と流れ──無料〜3,000円、所要5分
磁気帯びと分かったら、処置は簡単だ。時計店にある**磁気抜き器(デマグネタイザー)**に載せ、交流磁界で金属内部の磁気の向きをバラバラに戻す。作業自体は数分で終わる。
| 持ち込み先 | 費用目安 | 備考 |
|---|---|---|
| 購入店・デパート時計サロン | 無料のことが多い | 「サービスでどうぞ」が実際よく起きる |
| 時計修理専門店 | 2,000〜3,000円程度 | 精度チェック込みの店も |
| メーカー正規サービス | 点検と合わせて依頼 | 磁気抜き単体では出さないのが普通 |
| 自分で(市販磁気抜き器) | 機器代2,000〜5,000円 | 当て方を誤ると逆効果 |
市販の磁気抜き器について一言。ボタンを押しながら時計をゆっくり遠ざける、という単純な作業だが、途中でボタンを離すとその瞬間の磁界が時計に固定され、磁気を上乗せする。説明書を読まない人がやりがちな失敗だ。1〜2本しか持たないなら、店に持ち込む方が早くて確実だと言い切っておく。
注意点がひとつ。磁気抜きをしても精度が戻らない場合は、ヒゲゼンマイの変形や他の不調が疑われる。この場合はオーバーホール(分解掃除)のコースで、費用は正規でおおむね¥10万円前後からになる。だからこそ、原因不明の精度異常は「まず磁気抜き」から試すのが、最も安い切り分けの手順になる。
磁気抜き後にやるべき3つのこと
磁気抜きは「かけて終わり」ではない。私は必ず次の3つをセットでやる。
- 日差を2〜3日記録する: 磁気抜き直後に精度が戻ったことを自分の目で確認する。戻っていなければ磁気以外の原因であり、OH相談に切り替える
- 原因の場所を特定する: どこで磁気を拾ったのか、ここ数日の時計の置き場所を思い出す。原因をつぶさない限り、必ず再発する
- 置き場所を変える: 犯人が特定できたら、時計の定位置をそこから遠ざける。対策はこれで完了だ
磁気帯びは再発性のトラブルだ。同じ時計が半年で二度磁気を帯びたら、それは時計ではなく生活動線の問題である。二度目の磁気抜きに行く前に、机と枕元を見直してほしい。
耐磁時計という解──15,000ガウスの世界
「そもそも磁気に強い時計を選ぶ」という根本解がある。基準を整理しよう。
| 区分 | 耐えられる磁界 | 意味 |
|---|---|---|
| JIS第1種耐磁 | 4,800A/m(約60ガウス) | 磁気製品に5cmまで近づけても性能維持 |
| JIS第2種耐磁 | 16,000A/m(約200ガウス) | 磁気製品に1cmまで近づけても性能維持 |
| METAS マスター クロノメーター | 15,000ガウス(約120万A/m) | 日常の磁気環境ではほぼ無敵 |
数字を並べると、METAS認定の異次元ぶりが分かる。JIS第2種の約75倍。スイス連邦計量・認定局(METAS)が完成品の状態で15,000ガウスの磁界に晒し、精度が保たれることを検査する。オメガが主導して2015年から始めた認定で、現行のシーマスターをはじめ主力はほぼ全機が取得。チューダーも一部モデルで取得を進めている。
歴史を少し。耐磁時計の象徴は、ロレックスが1956年に出したミルガウスだった。名前の由来は「1,000(ミル)ガウス」。欧州原子核研究機構(CERN)の科学者のために作られた、磁気と戦う時計の元祖だ。2007年に復活したRef.116400GVも、2023年に生産終了してコレクションごとカタログから消えた。今や現行ロレックスに「耐磁」を看板にするモデルはないが、これは撤退ではなく、耐磁素材のヒゲゼンマイが標準装備になり、専用モデルの役目が終わったと読むのが正しい。ロレックスの現行ラインの全体像はロレックス完全ガイドを参照してほしい。
この裏側にあるのが、素材の革命だ。磁気帯びの急所であるヒゲゼンマイを、そもそも磁化しない素材で作ってしまえばいい──オメガはケイ素(シリコン)製の「Si14」ヒゲゼンマイを、ロレックスは常磁性合金の「パラクロム」ヒゲゼンマイを開発し、現行機の心臓部から鉄系合金を追い出した。かつて鉄の板で機械を囲って磁気から守っていた時代(ミルガウスやレイルマスターの初代はこの方式だ)から、部品自体が磁気を受け付けない時代へ。15,000ガウスという数字は、この素材転換の上に成り立っている。
では何を買えばいいのか。METAS認定の入り口として最も現実的なのは、シーマスター ダイバー300M(¥891,000)だろう。現行オメガの主力はコーアクシャル マスター クロノメーターで揃っており、どれを選んでも15,000ガウス級の耐磁が「標準装備」でついてくる。予算を抑えたければ、チューダーの新世代マスター クロノメーター機や、JIS第2種相当の国産耐磁モデルまで視野を広げるといい。
私の実感を言えば、スマホ・PC・イヤホンに囲まれた現代のデスクワーカーにとって、**耐磁性能は防水性能と同格の「実用スペック」**だ。300m防水を使い切る人はほぼいないが、15,000ガウス耐磁は毎日仕事をしている。時計選びの軸としてもっと語られていい。全体の選び方はメンズ腕時計の選び方 完全ガイドにまとめてある。
私の失敗──テレワーク元年、iPadの上の時計
偉そうに書いてきたが、私も磁気にはやられている。一番間抜けな事故は2020年、テレワークが始まった年だ。
在宅勤務になり、書斎の机にiPadを常駐させた。夜、時計を外すと、無意識にiPadのカバーの上へ置く。ちょうどいい台座に見えたのだ。1週間後、1995年から使っているシーマスターが、1日+40秒で進み始めた。31年物のこの時計は磁気に守られていない世代である。
一瞬、血の気が引いた。「ついに寿命か。オーバーホールか、それとも──」。冷静になって方位磁石を近づけると、針が音を立てそうな勢いで振れた。行きつけの工房で磁気抜き、5分、無料。日差は+6秒に戻った。
犯人はiPadカバーの磁石だった。磁石の上に毎晩8時間、時計を寝かせていたのだから当然だ。30年やっていても、こういうことをやる。以来、私の書斎には木製の時計トレイが置いてあり、電子機器から1m離れた場所が時計の定位置になった。対策とは、知識ではなく置き場所のことだ。
予防は「置き場所の設計」がすべて
この失敗から作った、わが家の運用ルールを公開しておく。
- 書斎: 時計の定位置は木製トレイ。同じ机にスマホ・タブレットを置くときは反対側の端へ
- 寝室: 枕元で充電するスマホと時計は、ナイトテーブルの対角に離す。ワイヤレス充電器の隣は厳禁
- 移動中: 時計を外したら、スマホやイヤホンケースと同じポケット・同じバッグポケットに入れない
- 保管: 長期保管の時計箱は、スピーカーやルーターのある棚を避ける
道具は増やさなくていい。要るのは「時計の定位置」をひとつ決めることだけだ。磁気対策のグッズを買い足すより、トレイひとつ置く方がよほど効く。
最後に──磁気は敵ではなく、環境である
磁気帯びは、機械式時計のトラブルの中で最も安く、最も早く解決する。数分の磁気抜きで直り、費用は高くても数千円。だが放置すれば精度異常の原因切り分けを混乱させ、不要なオーバーホールや買い替えという、財布に痛い誤診を招く。知っているか知らないかだけで、¥10万円単位の差がつく知識である。
覚えて帰ってほしいことは3つだけだ。
- 急に進んだら、故障より先に磁気を疑う
- 方位磁石で確認し、時計店で磁気抜き(無料〜3,000円程度)
- スマホ・タブレット・バッグの磁石から10cm離して置く
そして、これから時計を買う人へ。磁気は避けるものではなく、現代の生活そのものだ。であれば、15,000ガウスに耐える時計を選ぶという解は、思っているよりずっと実用的な買い物である。磁石だらけの机の上で、私のマスター クロノメーターたちは今日も涼しい顔で時を刻んでいる。
友人の「壊れたらしい」から始まったこの話は、3分の磁気抜きで終わった。あなたの時計の「故障」も、案外その程度の話かもしれない。買い替えを考える前に、まず方位磁石を近づけてみてほしい。
参考資料
- 日本時計協会 耐磁性能の解説 — 耐磁時計の仕組みと基準の一次情報
- 日本時計協会 JISとISOの時計規格 — 第1種・第2種耐磁の規格定義
- シチズン 耐磁性能の解説 — メーカーによる磁気帯びと対処の技術解説
- 時計修理工房 白金堂 磁気抜き料金表 — 磁気抜きの実勢料金の確認に使用
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よくある質問
- Q. 時計の磁気帯びは、いくらで直せますか?
- 時計店に置いてある磁気抜き器(デマグネタイザー)にかけるだけで、作業は数分。料金は無料〜3,000円程度です。デパートの時計サロンや購入店なら、サービスでやってくれることも珍しくありません。時計修理の専門店でも2,000〜3,000円が目安。機械式時計のトラブルの中では、最も安く、最も早く解決する部類です。
- Q. 磁気帯びを放置すると、時計は壊れますか?
- 磁気そのものが部品を物理的に壊すことは稀です。実害は精度で、1日に数十秒〜数分単位で進むようになります。ただし強い磁気でヒゲゼンマイ同士が密着したまま使い続けたり、磁気を帯びた状態で油の劣化が重なったりすると、不調の原因の切り分けが難しくなります。気づいたら早めに磁気抜きへ。数分で終わる処置を先延ばしにする理由はありません。
- Q. 磁気抜きは自分でできますか?
- できます。市販の磁気抜き器は2,000〜5,000円程度で買えます。ただし、当て方と引き離し方に作法があり、誤ると逆に磁気を上乗せしてしまいます。所有本数が多く、頻繁に磁気帯びする環境の人には自前の機器も合理的ですが、1〜2本しか持たないなら時計店に持ち込む方が確実です。私は20本を管理する身なので自宅に1台置いていますが、大切な時計は結局店に持ち込みます。
- Q. 磁気に強い時計が欲しい場合、何を選べばいいですか?
- 最強クラスはMETAS(スイス連邦計量・認定局)のマスター クロノメーター認定で、15,000ガウスの磁界に耐えます。オメガの現行主力はほぼ全機が取得しており、チューダーも一部モデルで取得。JIS規格なら第2種耐磁(16,000A/m=約200ガウス、1cmまで接近可)が上位です。スマホに囲まれた生活なら、耐磁性能は防水と同じくらい実用的なスペックだと考えてください。
About the author
川村 篤志
時計評論家 / コレクター歴30年・機械式時計 所有歴30年・40ブランド以上
機械式時計コレクター。所有歴のあるブランドは40以上、現役で稼働している手持ちは20本前後。雑誌寄稿100本超。「投機ではなく所有」を語る数少ない評論家。
Editor's note
編集後記とエッセイは、note で。
サイト本編に書ききれなかった編集現場の話、取材で出会った職人たちのエピソード、執筆陣の30年・20年の所有歴。 サイトとは別の温度の話を、note でゆっくり綴っています。